JASS ベトナム事務所ホームページ


7月29日 子どもの家卒業生ターオさん ・ナム君結婚式   

「子どもの家」卒業生の「ターオさん」と数日前に「子どもの家」を卒業した「ナム君」の

結婚式に参加。

子どもの家委員長のセンさん、寮長のロックさん、寮母さん・JASSベトナム

事務所のバオミン委員長を先頭にソン事務所員、フーン日本語主任、

フオン日本語教師、ハン会計部長など関係者と一緒に参加。

新婦ターオさんの実家はフエ市内から車で1時間半の農漁村地帯にある。

以下、JASSベトナム事務所スタッフと子どもの家寮母さん

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結婚式開始午前11時の30分程前に到着。

式場である新婦ターオさんの実家に到着。贔屓目(ひいきめ)にも

豊かな家とは思えない6畳一間のブロック造りの質素な実家である。

実家の入り口に新郎(ナム君25歳)、新婦(ターオさん24歳)が出迎え。

今回の結婚は、私のフエ在住23年間で「二組目」の子どもの家の子供同士の

結婚式である。

新郎ナム君は数日前に子どもの家の退所式を行った。母子家庭で育つ。

母親は色々な病気を持っていて生活が大変。結婚式の数日前まで

ナム君は子どもの家で生活していた。

新婦は子どもの家を退所し、フエ市内で家庭教師をしながら中学・高校の

化学教師を目指している。

新婦ターオさんと弟のチュン君は、小さい時から

子どもの家で育った純粋な「子どもの家っ子」である。

新婦はベトナム中部の名門大学「フエ大学」の化学科を卒業している。

 

今回の結婚は、現在子どもの家在住の子ども(新郎)が結婚する第1号である。

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フエ省郊外・ダナン市に近い海岸地域の新婦ターオさんの実家に到着。

ターオさんの実家の入り口で新郎(25歳)、新婦(24歳)が来客の出迎え

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結婚式にはたくさんの子どもの家卒業生が参加していた。

フック君。子どもの家在籍時は、絵画に精通し、フエ芸術大学を卒業。

現在、絵を描きながら生計を立てている。

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列席者に挨拶する新婦「ターオさん」

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結婚式に参加した「JASSベトナム事務所員:左アンさん・右フオンさん」

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(左 JASS日本語教師フーン先生:右は子どもの家 キムアイン寮母さん)

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挨拶に来た子どもの家卒業生の チュック君(現在 アルミサッシ窓の業者)

しっかりとした大人になっていた。日本の里親に心から感謝したい・・・と

言っていた。

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いよいよ 結婚式が始まる

新郎・新婦とも父親が早い時期に亡くなっている。そんな事情があり

新郎ナム君・新婦ターオさんは「子どもの家」に入所した次第である。

今日は両家とも父親の代わりに親戚の伯父さんが父親代わりとなる。

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写真下=後ろ、子どもの家の卒業生「左男:ヒー君、右男;チュック君」。

私的には感慨深いものがある。左黒背広のヒー君は、子どもの家でもかなり

問題児ではあった。俳優の原田大二郎さんと息子の虎太郎君がテレビの

取材で子どもに家に来た。その時、ヒー君は何故か原田虎太郎君と気が合って

テレビの取材中、いつも一緒にいたことを覚えている。

JASS23年の活動の成果・結晶とも云える結婚式ではあった。

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沢山の卒業生が「お祝い」に駆けつけていた。

(以下、下の写真)

●後列

▲右端 ヒー君 建築業(自称 やくざ と言っている)

赤シャツ (ホーチミン市で自作の油絵を売って生計を立てている)

▲前列

・右端 小学校教師

・右から2番目 看護婦

・前列の残り3人 大学生

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結婚式は少しずつ進行

音楽のボリュームが「右一杯」。耳をつんざくような大騒音。

とにかくうるさくて、終始「耳を押さえて」いた。

両家の紹介。

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式の冒頭、突然私が指名され「お祝いの言葉を述べるよう」言われる。

事前に何も言われていなかったので「不意打ち挨拶」に若干戸惑う。

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元日本料理店スタッフ(前列左・後列右)

前列右 ベトナム事務所スタッフ・ソン君の奥さんの妹

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新郎(左)と子どもの家卒業生

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我が家の里子だった「チュン君」(新婦ターオさんの弟:現在高校3年生)

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新郎新婦の母親(新郎新婦の父親は亡くなっている)

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(下写真  子どもの家卒業生 左:看護婦  右:小学校教師)

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午後1時、華燭の典はお開きとなる。  ベトナム事務所員と新郎・新婦

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午後3時過ぎ、自宅着。

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ベトナムに渡り23年。ほとんどの期間、現地に住んでいた。今日の結婚式に参加し、

子どもの家で育て・卒業させた子供たちを見て、改めて「長い期間フエに滞在したな」と

感慨深いものがあった。

自分では全く気づいていなかったが、このブログに掲載した写真を見て、私の頭髪が真っ白に

写っているので驚いた。40代でフエの子どもの家活動をはじめ、もう70歳になろうと

している。人の人生はほんとうに「あっ」と言う間に終わってしまうものだと

痛感している。

改めて多くの支援者の皆さん、各地の会の皆さん、企業の皆さん、各地の様々な

NGOの皆さんに感謝とお礼を申し上げたい。

 

同時にJASSのストリートチルドレン・子どもたち支援は間違っていなかった

ということを、多くの卒業生を見て確信した次第である。

子どもの家では、色々と問題を起こした子供たちも多かった。しかし、月日が流れ、

成人した多くの卒業生を見て、JASS会員の皆さんと進めた23年間の

フエでの活動・取り組みは間違っていなかったと感じたのである。

卒業生の多くが、進学し・手に職を付け、普通のベトナム市民として市井に生きている

ことの素晴らしを改めて感じている。

私たちが当初考えたストリートチルドレンを「普通のベトナム市民」として育てたい、

という願いは、ほぼ達成されてといえるのではないだろうか・・・・・・。

子どもの家の卒業生が自立し、結婚している実態を知り、この23年間、

JASSと私を応援し、助けてくれた多くの日本の皆さんに改めて御礼を

申し上げたい。同時にベトナム事務所のベトナム人スッタフ、子どもの家の

スタッフの皆さんにもお礼を申し上げたい。

23年間は「あっと言う間に」過ぎてしまった。しかし『23年間』は

私の70年近い人生の3分の1も占める「長い年月」であったことも事実である。

40度の猛暑の中での結婚式は、暑かったが、暑さ以上に子どもの家の子供同士の

結婚と普段感情を顔に出さない新婦ターオさんが終始ニコニコしていたことが

一番印象に残った。

新郎新婦の幸せな人生を心から祈っている。

往復3時間の車の旅も「子どもの家」の子ども同士の結婚・新婦ターオさんが

本当に嬉しそうだったのを見て、私としては100%満足した結婚式であった。

 

 

 

 


7月22日「国際キリスト教大学付属高校」来訪

午前7時朝食

午前9時、バオミンさんと子供の家へ。子供の家「NAM君」の退所式。

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ナム君は25歳。

昨年、フランス人運営のチーラン通り「子供の家」から

「JASSこどもの家」に転居してきた。

母一人子一人。JASS子どもの家に昨年入所し、

子供の家の『ターオさん(フエ師範大化学科卒)』と仲良くなる。

ターオさんは我が親族の『里子』チュン君のお姉さん。

小さい頃からよく知っている。

「ターオさん」は化学の家庭教師をしながら子供の家を

退所し「自立」した。

8月に「ナム君」はターオさんと結婚式をする。

一昨日、ターオさんの結婚式の招待状が届いた。

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(字が書けないので、拇印で息子の退所を了承する)

ナム君は母一人、子一人の家庭。母親は諸事情で文字が

読めない。子供の家寮長の「ロックさん」が、文章を読んで

「親として、ナム君の退所を了解するのか?」を確認する。

お母さんは、諸事情で仕事ができない。現在まで親戚の

財政援助で生活していた。そんな事情があるので、一人息子

のナム君を子供の家に入所させた。

ナム君は子供の家を退所し、8月にターオさんと結婚後は

『トゥアンアンビーチ』(フエ市内から車で1時間の漁村)の

母親の家で「3人」で暮らすという。この話を聞いた途端、

頭の中に「様々な情景」が浮かび、深く考えるものがあった。

とにかく、子供の家で自立した「ナム君」。ターオさんと結婚し、

その後、様々な出来事が起こることも想像できなくはないかも

しれないが(まだらっこしい表現:真意を汲んで・・)

ナム君とターオさん(我が家の里子だったチュン君の姉)の

幸せを祈る。

 

その後、私の宿舎でバオミンさんと当面の課題、フエの情勢などを

話し合う。

昼食は摂らずに宿舎で昼寝。

午後3時、ソン君が宿舎に迎えに来てくれる。

5日間宿泊する予定で衣類等を持ち、ソン君の

オートバイで「ズイタン・ホテル」へ行く。

午後4時半フエ空港へ到着予定の「国際基督教大付属高校」

のスタディーツアーの出迎えのため、ミンさん・ソン君と一緒に

フエ空港へ行く。

予定の1時間遅れでホーチミン経由でフエ空港着。

国際キリスト教大学付属高校の皆さんは元気に

フエ空港へ到着した。

 

空港から市内のホテルへ行く途中、フエ市内のベトナム料理専門の

『家庭料理専門店』へ。夕食をしっかりと摂る。

その後、予定の「DUY TAN(ズイタン)」ホテルへ。

国際キリスト教大学付属高校の皆さん、22人は元気に

フエでの第1日目を終了した。

私の部屋で「ピースインツアー」の添乗員さんと2時間ほど

今後のスタディーツアーについて懇談。

午後10時半、ピースインツアー添乗員さんとの懇談を終え、

就寝。

国際基督教大学付属高校の皆さんは、礼儀をわきまえ、

知性をもった高校生と見た。


SƠ LƯỢC VỀ NHÀ TRẺ NGUYỄN TRÃI HUẾ 2016年・7月19日

「JASSベトナム事務所HP」のベトナム語版です。

これから不定期ではありますが、本HPを読んで頂いている「日本在住ベトナム人」

「ベトナムにお住まいのベトナム人」そして「世界に住んでいるベトナム人」に

読んで頂く為の「ベトナム語版」HPです。

今後、不定期ではありますが、ベトナム語版を提供いたします。

 

+Nhà Trẻ Nguyễn Trãi là một cơ sở nuôi dạy trẻ em có hoàn cảnh khó khăn nằm trên địa bàn thành phố Huế.

Vào năm 1993, ông Koyama Michio – người sáng lập Nhà Trẻ, đã bắt đầu đến Huế và dạy tiếng Nhật với tư cách là giáo viên chủ nhiệm khoa tiếng Nhật tại trường Đại học Sư phạm Huế.

Cùng thời điểm đó, ở thành phố Huế có rất nhiều trẻ em nghèo, sống lang thang trên các đường phố. Ông Koyama vừa làm công việc giảng dạy tiếng Nhật tại trường Đại học Sư phạm Huế, vừa bắt đầu hỗ trợ cho những trẻ em đường phố, những trẻ em nghèo.

Và Nhà Trẻ 37 Nguyễn Trãi với cơ ngơi hai tầng đã được xây dựng nên từ lúc đó.

Trong suốt 25 năm, khoảng 300 trẻ em đường phố và trẻ em nghèo đã được đón vào Nhà Trẻ, được nuôi dưỡng và được học tập dưới một mái nhà chung, được vui chơi cùng chúng bạn và có một cuộc sống hạnh phúc như bao người bạn cùng trang lứa.

Cho đến nay, rất nhiều em đã trưởng thành, rời khỏi mái nhà chung, và tự tin hòa nhập với xã hội. Nhiều em giờ đã là giáo viên, nhân viên văn phòng, hoặc đang làm nghề may, và các ngành nghề khác…

Tất cả các hoạt động được điều hành bởi 6 nhân viên văn phòng và 8 thầy cô bảo mẫu.

Hiện tại Nhà Trẻ 37 Nguyễn Trãi và Văn phòng JASS vẫn đang hoạt động nhờ sự hỗ trợ của rất nhiều nhà tài trợ Nhật Bản và Việt Nam.

Tất cả nhân viên Việt Nam vẫn đang nổ lực hết sức mình để làm cho cuộc sống của các em ở Nhà Trẻ  37 Nguyễn Trãi ngày càng tốt hơn.

Xin hãy tiếp tục hỗ trợ cho chúng tôi.

Mọi liên lạc xin gởi về:

Văn phòng JASS

65A TRẦN HƯNG ĐẠO – HUẾ – VIỆT NAM

TEL: 054 – 3588813

E-mail: vanphongjassvn@gmail.com

 

Qũy bảo trợ xin gởi về tài khoản:

BANK NAME :BANK FOR FOREIGN TRADE OF VIET NAM HUE BRANCH

ADD :78 HUNG VUONG  St, HUE CITY-VN

TEL:  054-3846058

FAX: 054-3824631

ACCOUNT NUMBER: 0161370082911

NAME OF ACCOUNT: BAO MINH

ADD: 8/66 LE LOI HUE CITY– VIET NAM

TEL : 0081-54-829953


7月18日 猛暑で「体調不良」 小山

今年のフエは本当に暑い。部屋のエヤコンを「満杯」につけても「暑さ」は軽減しない。

完全に暑さに「ダウン状態」。脂っこい食事が喉を通らない。「和風」のうどんなどが

最良・最適。料理のTUOIさんが頑張って時々「盛りうどん」を作ってくれる。

非常に助かっている。

いよいよ「夏のスタディーツアー」の時期となった。

●7月22日から「国際基督教大学付属高校」(22人)が6日間フエに滞在し、

子どもの家訪問、子供たちとの交流、食事作り、ミニ運動会・・・・その他

●子どもの家訪問者2名。

●8月19日から26日「JASS青少年教育の会スタディーツアー」

●9月9日~「地球の歩き方スタディーツアー」

その他・・・・・・

全てのスタディーツアーで「講演会」を行う。

暑さに負けずにこれからの「2ヶ月間」を何とか乗り切りたい。

===

既に2週間近くインターネットが「正常な形では使えない」状態が続く。

午前0時を過ぎた「真夜中」に、やっと何とか送受信ができる状態である。

このメールも7月19日(火)午前0時半に書いている。

 

 


7月15日・子どもの家卒業生「NHUさん」懇談

午前6時起床。昨夜は暑くて寝苦しかった。

午前7時、朝食。大量のキャベツ入り「チャオ・バイン・カイン(小麦粉うどん)」

個人的には大好きな食べ物

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午前9時、ベトナム事務所へ。フエは朝から「40度」の猛暑。

とにかく1日中「暑い」。

「子どもの家」卒業生で現在も日本の「N本さん」の里子である

「NHU(ニュー)さん」と懇談をする。

JASSベトナム事務所でハンさんと話し合う「NHU(ニュー)さん」

4年間、ハんさんが奨学金担当として「NHUさん」とお付き合いをした。

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NHUさんはフエ郊外の農村の子ども。

10数年前、父親が交通事故で急死。姉と母親と3人に

なってしまう。近所の人に「子どもの家」を紹介され、母親と

姉妹は子どもの家へやってきた。NHUさんが小学校生の頃だった。

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母親と子どもの家へ「入所の相談」にやってきたNHUさん。

 

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子どもの家へ入所、お姉さんたちと仲良く遊ぶNHUさん(真ん中)

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姉とニューさんの二人が子どもの家へ入所。10年以上、

子どもの家で生活。

姉は子供の家を卒業し、小学校の教師となりフエの小学校に

勤務している。

妹のNHUさんも「ダナン経済大学」を今夏卒業する。

今日の話し合いは、ダナン経済大を卒業した後、法律家になりたいので

「フエ大学法学部大学院に入りたい」との相談である。

これはNHUさんの日本の里親である「N本さん」が日本で弁護士を

していることが大きく影響していることが分かる。

日本にいる里親は、ただ子供たちへ支援金・生活費を出しているでけではなく、

里子の子供たちは、実際の父親・母親と考える傾向が強い。

NHUさんも日本の里親が弁護士をしていることに強く影響されている。

ダナン経済大学の法学部に入学したのもその影響だと思われる。

大学院に行き、弁護士になりたいというのもその影響かもしれない。

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具体的には、日本の里親に「フエ大学法学部大学院に入りたいこと」

「引き続き支援をして欲しいこと」を頼みたいとの相談であった。

私とバオミン所長は「本人の気持ちが本当のものなのか?」

「今後、自分の人生をどのように描いているのか?」などを

色々と話し合う中で確認していった。

なかなか賢い子である。かなり確実・具体的に自己の将来像を描いて

いた。

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NHUさんの希望と人生の未来図を聴き、かなり具体的なことが分かった。

早速、NHUさんがベトナム語で日本の里親である「N本さん」に

手紙を書くように促した。同時に私の方でJASSベトナム事務所としての

考えを手紙にすることも決めた。

父親の急死から10数年。子どもの家に入所した姉妹。

姉が小学校の教師として教職に付き、既に結婚して母親になっている。

妹も法曹界に入りたいという希望を持っている。NHUさんの「夢が現実になる」

ようJASSとしても応援していきたい。『世界中、どの子もたった一度の人生を

生きているのだ・・・・』。

子供たちに「夢を持って欲しい」そして「時間をかけて実現していって欲しい」。

私たちは「子どもたちが自分の人生の夢を実現させる事業のお手伝い」である。

NHUさんとの話し合いを終え、宿舎へ帰る。今日は本当に暑い。

何もしなくても汗が吹き出てくる。午前中、NHUさんと話し合いをしただけで

疲労困憊。

午前11時昼食。

夏の期間は1日おきに「ざるうどん」を作って欲しいと言ってあるのだが・・。

今日は希望の「てんぷら ざるうどん」。美味しい。

毎日40度を超す真夏のフエ。食欲が全くなくなる。

これだけの日本料理の技術を持っているのに「出し惜しみ」をするのは

勿体ない。

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午前中、洗濯。

食後、洗濯。

午後、いくつかの仕事を進める。

今日は、暑くて疲れたので夕方、軽く「フエビール」を飲み、休む。

この暑さの中で無理をして仕事をし、体を壊して皆さんに迷惑をかけるのが

一番怖い。

寝ながら「CNN」を見る。フランスのニースで爆弾事件があり、80人程の

人々がなくなったという。銃の乱射だと現地のテレビは伝えている。

アメリカの大統領選挙がいよいよ終盤に差し掛かっている。

 

 

 

 


16年7月14日「夏のツアー準備」

午前6時起床

午前7時朝食。昨日と全く同じ「ブン麺」。酸っぱい臭いが強い。

2日間連続して同じ朝食と言うのも「芸のない」話ではある。

 

私の家へ来る前に「自分の家の近く」の路上の屋台で「ブン麺」を買い

我が家の台所で温める。

いつも3歳の娘さんを保育園へ連れて行くので我が家での朝食作りの

作業を出きるだけ簡単にしたいとの『母親の気持ち』は良くわかる。

出きるだけ「簡単」「手短か」に私の朝食を作り、娘さんを保育園に

連れてて行ってもらいたい。しかし、私の朝食がいい加減になるのも

如何なものか?

昨日と全く同じ朝食。10分程かけて自宅近くから持ってくるので

『完全のびのびブン麺』。麺のお汁がなくなっている。

 

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フエ高等師範大・グエンフエ高校・フエ医科大・フエ高等工業大

などに贈呈している奨学金の「日本の贈呈者」の皆さんに

お礼の手紙を出す。丁寧に気持ちを込めて書く。半日ほどかかる。

昼食  量が多すぎ食べられない。半分は夕食用に残す。

 

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午後30分程昼寝。

その後、洗濯。10年程使っている洗濯機の「寿命」が来たようだ。

調子が悪い。何度も洗濯がストップしてしまう。

この洗濯機を買った頃は、フエ市には洗濯機自体なかった

時代だった。車でダナンまで行き、買ってきた。

全自動の操作ボタンがたくさんある洗濯機なので、未だに

操作がうまく出来ない。

夕方、仕事に疲れたのでインターネットで落語を聴きながら

奨学金などの仕事をする。

疲れている時にはインターネットで『落語』を聴く。

軽く聴きたい時は先代「三遊亭金馬」の『山崎屋』。

少し重たく聴きたい時は、「古今亭志ん朝」の

『唐茄子屋政談』。

「YAHOO JAPAN」に『落語を聴く』と入力。