JASS ベトナム事務所ホームページ


6月30日 パソコン開設・練習

今日も朝から高温・蒸し暑い。

午前7時、朝食。「ブン麺」(米麺)

米麺に牛肉ともやし。美味しい

IMG_1495[1]

明日から「ラオス行き」。今日は1日「荷物の整理」

とパソコンの修理・回復作業。

IMG_1497[1]

1週間の「ラオス旅行」を敢行する。荷物の整理、取りかかっていた

幾つかの仕事をし終える。

古いパソコンが壊れて使用不可となった。こんな時のために

スペアーのパソコンを1年前に買っておいた。早速、ソン君、バオミンさん

たちに新パソコンを立ち上げてもらう。簡単な新パソコンの使い方を

教えてもらう。とにかく、私はIT関係には全く無知な人間だ。

好き嫌いを言えば、ITの世界・社会は好きではない。アナログ万歳派。

しかし、「確かにパソコン」は便利である。また、紙に書いていた時代に

比べれば、経済的且つ合理的ではある。しかし、毎年新機種のパソコンが

発売され、ついていけない。壊れたパソコンは「10年以上」は使っていた。

せっかく慣れたパソコンなのだが・・・・・。

午前中の仕事をベトナム事務所で終え、一時宿舎へ帰る。

昼食は、冷たい「手打ちうどん」。先日、手打ちうどんを作ってくれた。

IMG_1499[1]

本当に美味しかった。先日、作ってくれた「冷たいうどん」のブログを料理のトゥイさんは、

読んでくれたのかも知れない。今日、再度、「冷たいうどん」を作ってくれた。

毎日猛暑が続く。暑くて食欲がない。そんな時に「冷たいうどん」は食べやすい。

ベトナム料理のほとんどは、脂っこい。また、機会があったら「冷たいうどん」を作って

欲しい。

明日から「ラオス・ルアンプラバン旅行」に出発する。荷物・持ち物の整理をする。

昼、1時間程、「昼寝」をする。気温40度という猛暑が続く国では、適当に

昼寝や時短も必要だ。

昼寝後、再度、ベトナム事務所へ。新パソコンの使い方などをミンさんや

ソン君に教えてもらい、夕方になって自宅で何とか写真添付と文章を書き上げた。

明日は午前10時に自宅を出て、フエ空港→ハノイ空港→ルアンプラバン空港と

乗り継ぐ予定。


16年6月29日 小山記

引き続き猛暑の「昨夜から今日」の気候である。

午前7時朝食。

「チャオ・バイン・カイン」(キャッサバ粉麺)と茹でキャベツ

 

IMG_1481[1]

午前9時。パソコン修理業者が来てくれる。

IMG_1486[1]

数時間をかけて、私のへのデスクトップのパソコンを

修理してくれる。残念ながら「100%の修理」は

出来なかった。感謝はしている。完璧は求めない。

★インタネットプロバイダーの送信に問題あり。

真っ当な電波を各家庭・顧客に配信しないことが

最大の問題。私なインターネットに詳しくない人間は

自分のパソコンの調子が悪いのだ、と思いパソコンを

直そうとしてしまう。プロバイダーの電波自体に問題が

あるのだ・・・。困ったものだ。

=========================================

ソン君が我が家に来て、パソコン修理の最初か最後までを

見届けてくれた。ソン君の行動に感謝。

IMG_1484[1]

「子どもの家の子ども」時代からソン君を見ているが、これほど

しっかりと立派な成人になるとは思っていなかった。

ソン君のご両親とご家族が様々な問題があっても「愛情をもって

ソン君を育てた」ということが良く分かる。日本の里親の

内田さんの「影ながらのサポート」もソン君の人生には

大きな影響があったのも事実である。ソン君は「人との出会い」

に成功したようだ。

残念ながらその反対の人生を送った関係者もいる。

親と家庭の子育ては、本質的に子供たちの「人生を規定する」

と言える。貧しい家庭か豊かな家庭かの問題ではない。

親の養育の仕方だ。子供たちに愛情を持って育てた家庭か?

その反対の家庭か?と簡単には言えないが、フエで子どもの家の

活動をしていると「貧しさ」と子どもの育ち方とは関係ない

ことが良く分かる。ソン君を見ているとご両親の人柄と

ご家庭の雰囲気、里親の強い影響も窺える。

ーーー

朝、6時半に子どもの家卒業生で私の朝食・昼食を作って

くれる料理のトゥオイさんと保育園の娘さんが我が家に来る。

元日本料理店の店長でもある。

 

ごく短時間で朝食を作り終えると急いで「保育園」へ

娘さんを連れて行く。

子どもの家卒業生のトゥオイさんは、なかなかしっかりした

「やり手」のお母さんに成長していた。

 

午前10時。前フエ市副市長のトゥアン氏が、

我が家へ遊びに来る。3時間ほど懇談する。

2回、日本へ来ている。訪日の際の諸行動などを

懐かしげに話してくれた。やはり一緒に日本で数週間

寝起きを共にすると「友情」も沸いて来るというものだ。

6月の下旬に「トゥアン前副市長」のお宅へ招待された。

 

午前11時半、昼食。半分は夕食用に残す。

IMG_1489[1]

その後、1時間程「昼寝」をする。

午後、子どもの家関係、ベトナム事務所関係、里親関係の

仕事をする。

午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。バオミンさん・ソン君に

調子が悪い私のノートパソコンを直してもらう。しかし、

故障の問題がかなり「深刻」だったので、直ぐには直せなかった。

夕方、宿舎へ帰る。

直ぐに「リー君」から電話。「先生、午後4時半から飲みましょう」

とのお誘い。

徒歩で、フォンザンホテル前の「大衆酒場」へ行く。

リー君は1ヶ月に1回程度の頻度で私と飲みたいと

電話してくる。リー君の仲間の変なの?と飲むのも

楽しいのだろうが、たまには、私と飲みたいようだ。

リー君の最大の目的は、『ただ酒』が飲めるからなのか?

どうかは は分からないが・・・・・?

1時間程、リー君の結婚問題、警察に捕まった弟の近況などを

聞く。

 

IMG_1490[1]

 

しばらくすると「ソン君」が私に会う仕事があり、やってくる。

子どもの家の「秀才」「エース」である『ソン君』と「最問題児である

リー君のご対面」となった。とは言っても同じ『子どもの家』の子供たち

である。仲良く、色々な話をしていた。

IMG_1492[1]

ソン君は「用事があるので」急いで帰った。保育園関係の送り迎えの

仕事か?

リー君は、警察の仕事は順調に行っていると話していた。

気の利く男なので、警察のオートバイ警備員をしながら、警察と

結構うまくやっているようだ。

IMG_1494[1]

子どもの家の卒業生は、本当に仲が良い。

ソン君はしばらくして帰る。私は、1時間して帰宅。

リー君がオートバイで送ってくれた。その後、リー君は一人でか?

友達とでかは分からないが、「飲み直し」をしたものと思われる。

 

 

 


6月28日(火)ベトナム事務所へ 小山記

引き続き「猛暑」が続く。

午前7時朝食。朝から暑い。「ブン麺」と「もやし」。

ブン麺で「糖質」、肉で「たんぱく質」、もやしで「ビタミン」

を代行している。栄養学的には、「合理的」な朝食。

私は『麺類』が好きなので、1日中「麺類」でも飽きない。

IMG_1472[1]

 

3日前からインターネットの接続が悪い。ほとんど繋がっていない。

このインターネットの会社は、ベトナム人民軍が経営している会社。

とにかく接続が出来ない。何と言うことか? 困ったものだ。

ベトナム事務所に行ってインターネットを使う。ベトナム事務所は

又違う会社(郵政省)のインターネットだ。

インタネットが繋がらないのなら、

修理するとか「人事を尽くす」必要があるのだが、3日間も放置した

ままである。未だに繋がらない。無責任体質。

ベトナムの事実上の「独占企業」の軍隊が運営している。

ベトナム戦争「勝利の英雄」と言うことになっている「人民軍」は

ある意味で「オールマイティー」な存在である。一党独裁国家の中で

人民軍は「ベトナム戦争勝利の立役者」と言うことになっている。

今でも「横車」を押したりと何かと「特権」「英雄意識」を振りかざして

いるという噂を良く聞く。

今回のインターネットが繋がらない「事件」も、プロバイダーを

運営している軍隊が「早急に責任を持って解決すべき」当事者と

してしの責任があるのだが、当事者能力・責任者能力に欠けている。

40年前の「栄光」に未だに浸っているのも「いかがなものか?」。

3日間経ってもインターネットが繋がらないという実態を何ら

改善する能力と「やる気」のない現実に唖然としている。

料金だけはしっかり取っているのも本末転倒。良い仕事をし

人民に奉仕することが、人民軍の本来の任務なのだが・・・・・。

金儲け主義に走った「ベトナム戦争の英雄?」の皆さんではある。

午前中、「いくつかの仕事」をする。バオミンさんと電話で打ち合わせ。

午前11時、昼食。

数ヶ月前からお願いしていた「日本のうどん」を料理の

「トゥオイさん」(子どもの家卒業生・元JASS日本料理店長)

が作ってくれる。

IMG_1474[1]

IMG_1475[1]

日本で日本料理の研修もした。手打ちうどんは日本料理店で

何度も作っている。

「脂っこい」ベトナム料理は、気温が上がるとどうしても

口に合わない。数週間前から「盛り手打ちうどん」を作って欲しいと

頼んであったのだが、諸事情があったのだるろうか? なかなか

作ってくれなかった・・・・・。

今日、やっと作ってくれた。つけ汁は日本から持ってきた既製のもの。

三食「脂っこい」フエ料理。たまにこの種の「さっぱりした食事」を

食べたいものだ。私の大好きな「冷たいうどん」を食べて、元気が

でた。最近猛暑のフエである。気力と体力がなくなり、食事が喉を

通らない。この「盛りうどん」は元気回復の一助になった。

午後、ベトナム事務所へ。バオミンさん、ソン君、ハンさんなどと

いくつかの件で打ち合わせ。

最近は更に貫禄(体に?)が付き、仕事も安心して任せる

ことの出来る存在になったソン君。立派に成長した。

今日(こんにち)では、ソン君がいないとJASSベトナム事務所も

機能しなくなっていると言える。

IMG_1476[1]

何がうれしいのか? いつも明るい「バオミン委員長」

IMG_1477[1]

JASSベトナム事務所の会計を一手に引き受けている

ハンさん。安心して任せられる。ハンさんとバオミンさんとは

23年間のお付き合いである。

IMG_1478[1]

その後、帰宅。ソン君が一緒に宿舎に来てくれる。

7月1日から9日まで「ラオス・ルアンプラバン」と

「ハノイ」に滞在する。ソン君(JASS観光)に

必要費用を渡す。「JASS観光」にラオス旅行の

手続き・航空券・ホテルなど全てをお願いする。

多少は、JASS観光にお金が落ちることを願っている。

たいした金額ではないが・・・・・。

(ベトナム事務所でこのブログを書き込む)

 


停電・猛暑

昨晩からの停電が続く。うんざりする。特に現在のフエは「猛暑の真っ只中」である。

夕方、やっと停電が終わる。良かった。

停電中、部屋に居ると汗が吹き出てくる。と言って「外に出たら」更に暑く、体を壊す。

とにかく室温40度の部屋で静かに「謹慎」していることしか出来ない。

冷蔵庫も止まっているので「冷たいもの」も飲めない。困ったものだ。

フエ市民全員がこうした「電気なし」の『社会主義』の生活の下で

「平等に」我慢しているのであれば一応『我慢』もできる。

しかし、特定の層の人たちの家には電気が通じている。

停電にならない階層がいる「平等な社会主義社会」で

はある。「ベトナム社会主義は平等だ」と言っている人たちが、

「不平等の恩恵」を掠め取っている(かずめとっている)」という実に

『不平等な』社会主義ではある。

午前10時過ぎ電動バイクで「大衆食堂」に「ブランチ」を買いに行く。

「ご飯」と「野菜炒め」「肉料理」「卵焼き」などをのせた

「ビンザン(平民)」とか「コムディア」と称する『ほか弁』を

買う。3万ドン(150円)。ベトナム事務所の皆さんは、

「ビンザンは汚いから食べない方が良い」と助言してくれる。

確かに汚そうなお店である。

午前11時、外は猛暑、部屋は停電でやはり「猛暑」の中で

「ブランチ」を摂る。日本では最近こうした停電はほとんどない。

ベトナムで停電を経験し、ほとんど停電のない我が日本社会に

感謝しているベトナム生活である。

改めて「世界中」では、「自由に電気が使え」

「エヤコン」「冷蔵庫」「炊飯器」など電化製品の恩恵に

浴している国は、世界の人口の中では圧倒的な「少数派」

である。

ベトナム社会の「極貧時代」から高度経済成長を果たしつつ

ある現在までの23年間をベトナムで過ごし、社会の変化が

人間の思想の変化をもたらし、社会の変化の原動力は

人間の尽きない「欲望」だと感じている。

資本主義を「創設し」「発展させた」イギリス。

近代デモクラシーをまとめ上げた国でもある「イギリス」は

また新たな社会問題に挑戦している。「EUからの離脱問題」である。

単純に結論は出せない問題ではあるが「大きな歴史的な流れ」を

考えると意義のある社会作りに挑戦していることがわかる。

第2次世界大戦の反省から「欧州共同体」を作り、『戦争から

協調』へと舵を切ったヨーロッパである。新しい共同体つくりへの

挑戦は、困難なものだと改めて思った。イギリスの「ヨーロッパ共同体」

への取り組み・挑戦は「人類の未来」を指し示している困難な課題だ。

しかし、理想だけでは現実はうまく進まない。停滞する。

イギリスへの多くの難民の流入。難民を受け入れることは人類として

必要なこと。第2次世界大戦を経験し、排他主義、他民族抑圧など、

多くの「負の遺産」を経験した人類である。イギリスの難民受け入れは

そうした反省の上に立って推進している「人道活動」とも言える。

理想は立派だが、イギリスの一般庶民の中に「移民」「難民」の人たちが

流入し、文化・生活の違いなどでの「齟齬(そご)」をきたすことは

十分ありえる。

直ぐにこの問題は解決できないが、時間をかけ、様々な経験を積み上げ

難民・移民問題を考える時期に「我が日本」も来ているような気がする。

しかし、国民規模での「社会的合意」は出来ていない。

直ぐに成功はしない。時間をかけ、試行錯誤しながら「人類が戦争を

しない社会」をどのように構築していくのか?と言う人類史的な

課題への挑戦が成果をあげることを願っている。

部屋の掃除・床を雑巾で拭く。

夕方、電気がつく。ほっとする。直ぐに「冷たい飲み物」を飲もうと

思ったが、「冷たくない」のだ。1時間程待って「試飲」する。

この時の味は「言葉では説明」できない。フエの「官僚・お役所仕事」

電気会社に心から感謝したい。「よくぞ、停電にし、ビールを美味しく

飲むための準備を「強制的」にしてくれた」と。

洗濯をする。既に10年程使っている「電機洗濯機」の調子が悪い。

チェンネルを合わせて「洗濯の種類を設定する」のだが、設定の

機能が壊れてしまったようだ。設定を色々と調整し、何とか最低の

洗濯をした。電気洗濯機もそろそろ「寿命」が来たようだ。

この洗濯機は、ベトナム事務所スタッフの役に立った。この洗濯機で

どれだけ衣類がきれいに「異臭を放たず」に洗濯・乾燥できたことか?

 

 


16年6月25日「フエ高等師範大創立40周年式典」

午前7時半、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。

今日は「フエ高等師範大学創立40周年記念式典」が行われる。

午前8時から3時間弱、式典は「フエ文化会館」で行われた。

式典看板

(フエ高等師範大学創立40周年記念式典)

IMG_1465[1]

フエ高等師範大学はフエ省立の教員養成施設(3年制)

1976年2月7日創立ということで「ベトナム革命(1975年)」

の直後に「社会主義的な教員養成施設」として創立したことが分かる。

IMG_1456[1]

式典会場正面には「フエ高等師範大創立40周年記念式典」の看板がある。

IMG_1458[1]

式典の90%は、大学教員・学生・職員の「歌と踊り」。

大学の「学芸会の様相を呈して」いた。

IMG_1459[1]

「お国柄」から致し方なのであろうが、「ベトナム共産党の指導の下に・・」

とか「ホーチミン主席の指導の・・・・」というベトナム「慣用句」が

沢山使われた式典ではあった。軍国主義華やかな「戦前の日本」の

式典にかなり似ていると思った・・・・・・・

「天皇万歳」が「ホーチミン主席万歳」になり、と言った按配である。

IMG_1462[1]

華やかな踊りの中には必ず「鎌とハンマー(労農同盟)」のベトナム共産党旗

と「偉大なホーチミン主席」の金の大型像が出てくる。3時間程の

式典は、まるで「職員と学生の学芸会」のようなものだった。

歌と踊り満載の式典で、参列して楽しかった。

日本のこの種の式典は「厳粛さ」を強調するが、それよりは、

見ていて好感がもてた。

ただ、挨拶した「お偉いさん」たちは、ほぼ同じ内容の演説を繰り返した。

「偉大なホーチミン主席のご指導で・・・・」「ベトナム共産党の領導の下に・・」

「大きく発展した・・・・」。

JASSの会員の皆さんが、多額の「奨学金」をフエ高等師範大の

学生さんに支給している。20年近くの奨学金支給の歴史をもっている。

特に従兄妹の長島氏は年間多額の奨学金を贈呈してくれている。

フエ高等師範大の奨学生に代わってお礼を言いたい。

私も大学4年間「教育特別奨学金」という名の奨学金を受けていた。

入学金・授業料・生活費等大学生活等で必要な全てのお金が

含まれていた。この奨学金がなければ大学を出ることが出来なかった。

フエでのストリートチルドレン支援活動も「奨学金をもらって教員に

なった」ことへの感謝の気持ちの一端でもある。

 

ベトナム中部には「フエ師範大学」と「フエ高等師範大学」がある。

23年前に私は「フエ師範大学」の日本語学科の主任としてフエに来た。

「フエ師範大学」は旧「フエ大学」(強いて比べれば、日本の京都大に当たる。)

「フエ高等師範大」は、フエ県立教員養成の3年制の学校である。

戦前の「師範学校」である。学生さんの歌と踊り。

IMG_1463[1]

来賓紹介の中に私の紹介もあった。

午後11時過ぎ、散会。日本の「厳粛な式典」に比べると

飽きさせないように「歌」や「踊り」など式典に様々な工夫があり

『陽気な式典』であった。

IMG_1468[1]

 

午前11時過ぎに式典終了。バオミンさんのオートバイの後ろに乗せてもらい

帰宅。

今日は料理のTUOIさんに「朝食でだけで帰宅して下さい」と話して

あったので、昼食なし。

 

 

 

 


16年6月24日 フエ熱暑

23年間フエ市に滞在し活動をして来たが、今年の夏の暑さは異常である。

朝から夜中までとにかく暑い。勤労意欲は完全に喪失。飲酒意欲倍増・倍々増。

ベトナム事務所スタッフもその家族の皆さんも暑さと寝不足で疲労困憊状態

とのこと。


昨晩は暑くて眠れず。寝たり、目覚めたりで一晩を過ごす。

午前6時起床。睡眠不足で頭がボーッとしている。食欲なし。

午前7時、朝食。「キャッサバ粉麺」

IMG_1454[1]

 

私がフエに戻って以降、「例年にない猛暑のフエ」である。

朝から夜中まで室温が35度から40度。それ以下には下がらない。

エヤコンは全く利かない。

夜中も「昼間と同じ暑さ」と言った状況。

夜中が暑くて眠れず、昼間も「エヤコンをつけても暑い」。

 

今日、用事でソン君に私の部屋に来てもらった。ソン君も

「暑くて夜眠れない、今までにない暑さだ」と言っていた。

とにかく異常気象・異常な暑さなので、体力が消耗してしまう。

午前7時、朝食。料理のTHUYさんも保育園児の娘さんを連れて

朝食作りに来るが、娘さんが暑くて「ぐずって」いた。

午前11時、昼食。その後、ソン君に部屋に来てもらう。

午後、あまりにフエが暑いのでバオミンさんと相談し、

ラオスに「避難する計画」を立てる。

ソン君に部屋に来てもらいインターネットで「ラオス」の古都

「ルアンプラバン」の安いミニホテルを一週間予約してもらう。

バオミンさんにラオス・ルアンプラバン行きの飛行機の切符を

予約してもらう。このままフエに居ては、猛暑攻撃に耐えられず

体がもたない。緊急避難先をバオミンさんと相談してラオスに

決める。フエからも近い。フエ→ハノイ→ルアンプラバン。

この1週間の猛暑に体がついて行けない。食欲がなく、強度の

倦怠感。1週間後の7月1日~7月7日までの1週間、ラオスに

滞在し「体力を保全」する。体が何よりの「資本」である。

70歳近い爺さんには、この猛暑を乗り越える自信はない。

 

 

 


16年6月23日「自宅で仕事」

午前6時起床。昨夜は、あまりに暑く「一晩中、眠れな」かった。猛暑。

今朝は、睡眠不足で起床。

午前7時、朝食。モヤシ入り「ブン麺(米麺)」

 

IMG_1452[2]

 

朝から体がだるく、熱がある。(37度4分)

この数日、暑さに強いベトナム人でも「あまりに暑い」と言って

いる。エヤコンがほどんと利かない。

この数日の暑さに負けてしまったようだ。

里親の皆さんへの里子からのお礼の手紙の清書など

「根気の要る」仕事に集中した。暑さの中の仕事なので相当疲れる。

体がだるく、「横になりながら」里親へのお礼状の日本語翻訳の

添削・清書をする。

疲れるとベッドで横になり、一歩一歩仕事をするような感じで

里親の皆さんへの里子からの手紙の添削・清書をする。半日以上

の時間を要する。

午前11時半、昼食。あまりに量が多いので食べ切れず。

半分程度残す。ベトナム農村の成人男性が一般的に

食べる食事の「質」と「量」と見た。今の私には、「3分の1」程度でも

多いように思思われる。

IMG_1453[1]

1時間程「昼寝」

午後も里子から里親への手紙の「添削・清書」。

文章の添削は下書きの文意を残し、丁寧な日本語の文章に「変換する」

という使命がある。40人近い子どもの家の子供たちの文章を

丁寧に日本語に直す。数時間かかる。

終わった後は、かなりの疲労感。しばらく、横になり「体力の回復」を待つ。

その後、いくつかの仕事する。

午後7時、ベッドに横になり休息・就寝。

薬よりも休息が「一番の薬」。