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ベトナム子どもの体質についての意見 12月30日(月)

後1ヶ月くらいで2015年が終わる。今年が速く経つと感じています。この時期には子どもの家の子どもたちは第一学期の試験準備をしてるところです。

最近、ベトナムの学校は一日中勉強になるのは多いです。しかし、校舎がまだ不足で午前に勉強して、一旦家に戻ってまた学校へ行く。移動するだけで大変だと思います。学校の先生たちも時間割を調整することも大変だと思います。

間違いなく、昔より子どもたちは一所懸命勉強しています。逆にお互いの交流時間も遊び時間も少なくなって、活気が落ちていると感じています。

ベトナムに体育館が付いている学校ははまだ少数ですので、子どもたちの運動時間が少ないです。勉強は大切ですが体力も大切だと思います。これから学校には運動できる施設があるように期待しております。

子どもの家を見ると今までメガネを掛ける子どもがあまりいなかったが最近、増えていてびっくりしました。これは勉強しすぎなのか健康管理か栄養管理バランスが取られてないのかはっきり分からないですがやはり両面とも調和するのは必要だと思います。これからベトナム国のため、子どもたちの健康が改善されるように祈りいたします。

 

JASSベトナム事務所長

バオミン


暖炉基金をいただいているグエン・フオック・カン・ドゥック君

2004年9月から、ドゥック君は暖炉基金の芳村様から奨学金を頂いています。ドゥック君がまだ10歳で、小学校4年生の時でした。

ドゥック君は手と足に大きな障害があります。11年間に渡る芳村様の応援と愛情のおかげで、ドゥック君は楽しく毎日を過ごせ、安心して学校に行っています。

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2013年9月にドゥック君はフエ高等工業学校のコンピューター学科に合格しました。

現在、フエ高等工業学校のコンピューター学科の3年生です。

ドゥック君は、両手の指に大きな障害があり、両手の指がまがりません。

毎月、ベトナム事務所に帯広の芳村さんの「暖炉基金」を取りに来ます。元気で、成長をして、勉強を頑張っているドゥック君を見て、遠い日本から芳村様も大変喜ぶと思います。

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来年、フエ高等工業学校のコンピューター学科を卒業する予定です。将来、ドゥック君は自立の生活ができ、安定した仕事に就けるようになることを祈っています。

ドゥック君の笑顔が素敵です!いつも辛いなことを忘れ、笑顔でいてください!ドゥック君、頑張ろう!

暖炉基金の芳村様、ありがとうございます!

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「夫婦餅」 ベトナム事務所員 ゴック・アン

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夫婦餅

ベトナムの結婚式は色々なものが必要ですが、100個の「夫婦餅」はなくてはならないものです。その他に色々な物を花婿とお家族が持って、花嫁のお家族に上げます。その100個「夫婦餅」は夫婦と一緒に100年住むことが出来るようにお祈りするという意味です。

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100個の「夫婦餅」

また、結婚式のデザートが出されることも多いです。

「夫婦餅」はベトナムの有名なお菓子です。外国人と紹介したいので、今外国人のレストランにデザートのメニューが出されることも多いです。

高校生のとき、学校で、「夫婦餅」の作り方を勉強しました。

緑豆餡をココナッツと一緒に蒸したもち米で包み、ココナッツの葉にのせて蒸しあげる。その後、ココナッツの葉で作った蓋付きのケースにひとつづつ丁寧に収められる。味はあっさりとしていて、おいしいと思います。

「夫婦餅」の作り方は簡単ですが、ココナッツのケースのやり方は一番難しいと思います。やる人は器用じゃないと、夫婦餅の形がきれいに作れません。そのとき、私は何回やっても出来なかったです。さびしかったです。

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日本人の皆様はフエへ来たら、食べてみてください。

 


昨日スタッフのフォンさんが紹介したコーヒーに関することをお話しいたします。

日本人がベトナムに来て、一番不思議なことは朝8、9時ごろ喫茶店でコーヒーを飲みながら、友達と話したり新聞を読んだりする男の人がたくさんいるそうです。その人たちは働いていないでしょうか。そういうわけではありません。

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喫茶店で過ごす人たち

ベトナムの大学では授業は午前中か午後だけあるし、出席を取るのもあまり厳しくありませんので、サボっている男性がいます。もちろん、それは少数しかないんです。

また、市場などで商売している人のご主人たちである。朝5時ごろ品物を店頭に並べる手伝いをしてから喫茶店でリラックスしたり、奥さんの代わりに、家事をしたりします。夕方になったらまた市場へ行って、品物の片付けをします。

その他は、失業者である。私が調べた限りでは、今年の失業率は2,10%です。そのうち、都会は3,45%で、田舎は1,49%ということです。不況でリストラを実施する会社が多くなったからです。

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仕事を探している失業者

ベトナムコーヒは濃いので、一日にせいぜい2、3杯ぐらいでいいと言われています。朝、コーヒーを一杯飲むと、すっきりしていて仕事に効果的だと思います。だが、それ以上飲むと、心臓にも影響を与える恐れがあるそうです。

コーヒは生活のリズムが狂う現代社会で欠けないものだと思います。

ミー・フーン

 


「コーヒー」紹介させていただきます。

ベトナムの飲み物は様々ですけど、ベトナム人は 最近どんな飲み物に人気があるかなあ。コーヒーだと思うでしょうか。コーヒーの種類はいくつかあります。コーヒーは1850年代にフランス人のキリスト教によってベトナムに紹介されました。フランスの植民地時代の19世紀にコーヒーが輸入され、豆の栽培が始まっている。こんにち、ベトナム、ロブスタ種は世界第2位の生産量を輸出しています。

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コーヒー豆

ベトナムコーヒーの一般的な飲み方を指します。深めるにいった豆を荒く挽き、フィルターで 抽出して練乳を加えるか砂糖を入れて飲みます。店によってバターやチョコレートで風味付けをする場合もあるでしょう。

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カフェ・スアと呼ばれている

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カフェ・ダーと呼ばれている

街中でのみんな脚の短い椅子に腰を下ろして、コーヒーを楽しんでいます。一日にどこででも、いつでも喫茶店や屋台などで人がいっぱいです。でも、ほとんど街角のお姉さんたちな店主の店にみんなが集まっています。また、立派なカフェ店も増えてきており、Wi-Fiを使いながら、エアコンの効いた店でのんびりとコーヒーを楽しむ人も増えています。

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屋台で飲んでいる人

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立派なカフェ店

私は毎朝 Facebookなどをチュックしながら、コーヒーを飲んでいて、楽しみです。みなさん、機会があれば、お姉さんたちの店に寄って、ベトナムコーヒーをゆっくり味わってください。


「カトゥー族訪問について」 ベトナム事務所員タン・ソン

ベトナムは多民族国家で、54の民族がいます。

人口の8割はキン族と呼ばれる人たちで、残りの2割が53の少数民族に分かれます。

今回紹介するのはカトゥー族という、人口約(やく)600人の少数民族です。

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ベトナムでは外国人が少数民族の住むところへ行き、接触することは禁止されています。

ベトナム戦争の時、いくつかの少数民族は反政府側に立ってゲリラを行ったという歴史があります。

ベトナム政府にとって、少数民族は反政府運動の可能性のある、危険な存在でもあるのです。

現在、公式に外国人の立ち入りが許されているのは北部のサパだけですが、すでに観光地化が進み、

純粋な少数民族の生活や文化に接することは難しくなっています。

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                        北部のサパ

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そんな中でJASSだけは、ナムドン郡の少数民族の村への訪問が許可されています。

1999年にフエ省で200年に1度の大水害が起きたとき、一番被害が大きかったナムドン山岳地帯に

JASSは海外NGOのどこよりも早く駆けつけ、大量の衣類、米、お金を11の村に支援しました。

1998年から2002年まで、JICA(国際協力機構)と協力して、ナムドン山岳地帯の11の村で、

障害児の総合実態調査や障害の手術などを行いました。

また現在でも、ナムドンの小学校の児童全員に奨学金を贈呈しています。

このような支援の10数年間の積み重ねによって、JASSは現地の人民委員会に信頼され、

入山が許可されるようになりました。

皆さんが訪問する目的も、その支援の一環ということになっています。

皆さんが訪問するカトゥー族は、一昔前まではこれよりさらに山奥の、

キン族などとは接触することのないところに住み、狩猟採集生活を送っていました。

1976年に、ベトナム政府は彼らを統制するために現在の山の麓まで下山させました。

そしてキン族と同じような生活をするようにさせたため、生活が近代化した面もありますが、

反対に伝統的な生活や文化が急速に消滅していったという面もあります。

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カトゥー族

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そんな中で、皆さんのようにツアーで訪れる人たちを歓迎するために、

最近では伝統的な歌や踊りが復活してきています。

皆さんがカトゥー族を訪問するということは、彼らの消えかけていた伝統や文化を発掘し、

再現するという意義もあるのです。

 


15年11月23日(月)小山道夫・「火炎樹日記」

午前5時起床。

午前7時朝食。おかゆ状の流動食。

 

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今日は、私の68回目の誕生日。日本では「勤労感謝の日」。

アジア・太平洋戦争が終わって2年。日本が敗戦と

価値観の180度の転換と言う「未曾有の大混乱期」

にこの世に生を受けた。この世代は世界的に

「ベビー・ブーマー」といわれている世代。

1945年に第2次世界大戦が終わり、欧州・アジア・

アメリカなど世界中の成年男子が戦場へ行っていた。

1945年8月15日の日本の敗戦で母国へ帰国。

1946年・1947年の2年間位で多くの若い兵士が

母国へ帰国し、子どもを儲けたので、世界的な

レベルで「大出産ブーム」となった世代。

小学校は東京豊島区池袋の文成小だったが、

子どもたちが多すぎて、階段の下の『踊り場」に

机を置いて勉強したり、午前組み、午後組み登校

などもした。中学は同学年13クラス位、700人だったような

記憶である。高校受験・大学受験は異常な競争率で

大変だった。

東京の孫から電話あり。4月から小1と小3になるという。

しっかりとした口調で「誕生日、おめでとう」と言ってくれた。

北海道の孫から誕生祝いのメールあり。感謝。

スポーツ、勉強にと頑張っているとのメールに安堵。

この世の中に私の誕生日を祝ってくれる人間がいることに

感謝している。

しばらくして京都の豊田観光の豊田さんからも誕生祝いの

メールが届いた。深謝。

ベトナム事務所では、この20年近く、ベトナム事務所員の

誕生祝いをしていたが、理由は不明だが、取りやめに

なったようで今回は何もしない。それもさっぱりして良い事だ。

 

午前中、当面の活動計画。その他のチェック。12月・1月・2月の「子どもの家」

訪問者の確認と全体的なバランス等の調整。

読書「中大兄皇子(下)黒岩重吾著)

バオミンさんといくつかの件で電話で打ち合わせ。

午前11時半、昼食。「野菜尽くし」 ナス・大根・葉っぱ

香菜・・・。半分食し、半分は夕食用に残す。

 

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昼2時間昼寝。

昼寝後、落語を聴く。 古今亭志ん朝「芝浜」。

これは、多くの噺家が演っているが、先代の「桂三木助」

は確かに良い。息子の三木助は一時テレビに出ていたが、

自殺してしまった。 同じ噺だが、演者によって、少しずつ

噺の順番や省略や追加挿入などがある。

「唐茄子屋政談」。人情話の一種。唐茄子は、カボチャの

こと。大体、人情話の出発やベースには、吉原がある。

大店の息子が、吉原の花魁に入れ込んで、親類一同の前で

勘当となり、食べ物もなく江戸中をほっつき歩く。行き詰まり

大川から「身投げ」をするところを、偶然叔父さんに助けられる

と言うところから、噺が始まる。