JASS ベトナム事務所ホームページ


15年10月31日(土)ベトナム事務所員会議

小山 「火炎樹日記」ベトナム事務所員会議

午前6時起床

午前7時朝食。「柔らかい チャオ・バン・カン(手打ちうどん)」

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午前8時半。「静岡・フエ青年交流会館」(通称「静岡会館」)にて

ベトナム事務所員会議。

会議開会前に「静岡会館」の工事の進捗状況を確認。

工事は予定以上に進捗している。

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この建築会社は、JASSの建物などほぼ全てを依頼しているが、

良心的で仕事が速いが、丁寧。

静岡会館側のコンクリートはほぼ完成。

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右側が「静岡会館」、左が「フエ市文化会館」。真ん中が境界線「花壇」

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午前8時半より久しぶりの「ベトナム事務所員会議」

新日本語教師の新井先生も参加。左側最前列。

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(ベトナム事務所員会議  重大決定の報告)

会議の冒頭、ベトナム事務所員全員が、今後、分担して

「JASSベトナムHP」に1週間に1回の投稿をする、ことを確認した。

先日、HPを管理している「教え子の手島君」から連絡があり、

「JASSベトナムHP」(JASS.VN)のトップページの

「今すぐ支援をする」をクリックし、JASSへの支援金を毎月納入する

との手続きをしてくれた方が、5人いることが分かった。

5人の方に心から感謝したい。

ーーー

たくさんのベトナム事務所員が「JASSベトナムHP」に投稿すれば

更に充実したHPになることと思う。

今日のJASSベトナム事務所員会議で全スタッフが、毎週1回、輪番で

投稿することを確認した。ありがたいことである。

「JASSベトナムHP」投稿担当日

・月 バオミンさん

・火 ソン君

・水 フオン日本語教師

・木 フーン日本語主任

・金 アン ベトナム事務所員

・土 ハン会計部長・新井日本語教師

会議は「JASSベトナム代表」のバオミンさんより、11月・12月の

スタディーツアー等来訪日程の提案。担当者の確認。

続いてフーン日本語部長とバオミンさんより、日本語学校の今後に

ついて説明・提案。今まで最高時、7クラス・70人程の社員の日本語教育

を行っていたが、先月、「ブライセン」より「日本語教育を10月一杯で止める」

との連絡を受ける。丁度、今日、10月31日を以って長い間行ってきた

「ブライセン」との関係が断絶される。残念なことではあるが、致し方ない。

バオミンさん・フーン日本語部長より、今後の日本語学校のあり方の

具体的提案があり、来週、その具体化に入ること、今後の日本語学校の

展望について、ベトナム事務所員一同で意思統一。このブログでは、

「具体的なこと」は現時点では書けないが、「ブライセン」が

終わってもJASS日本語学校は「不滅」(長島茂雄弁)である。

ーー

続いて、財政部長であり「里親里子」担当のハンさんより問題提起あり。

一昨日から私と話していた内容をベトナム事務所員会議で検討する。

この22年間、「子どもの家」の子どもたちは、様々な活動・体験をし

成長してきた。100人以上の子どもたちが、「子どもの家」を卒業し、

社会へ巣立って行った。

最近、大学進学を希望する「子どもの家」の子どもたちが増えてきた。

現在、ベトナムの大学進学率は「15%~20%」。

これは、私の大学入学時の日本の大学進学率である。(1966年当時)

現在、「子どもの家」には、33人の子どもたちが在籍しているが、

そのうち大学生は10人である。(30%の大学進学率)。

また、自宅で生活している子どもたちの支援は、10人。大学進学者は2人。

JASSとしては、43人の子どもたちのお世話・支援をしているが、

12人の子どもたちが大学へ進学している。これは、とても良いことである。

JASSとしては、一人ひとりの子どもたちの持っている「能力」を引き出して

やり、その能力を生かした人生を送ってもらいたいと思っている。

以前「子どもの家」を卒業した「フック君」は、絵画の能力があったので

フエ芸術大学油絵科を出て、現在、ホーチミン市で依頼された絵画を納入し

生計を立てている。また、フエ医科大歯学科に入学した「フオンさん」は、

フエ医科大大学院生になり、昨年7月、韓国政府の国費留学生試験に

合格し、現在、ソウル大学医学部大学院に留学している。

こうして、子どもたち一人ひとりの持っている能力を見つけ、引き出すことは

「子どもの家」の仕事の一つ・大事な仕事でもある。

現在の「子どもの家」の子どもたちは、大学進学した先輩の勉強の仕方などを

見て、大学進学を夢見ている。良いことである。家庭と財産・資金がない

「子どもの家」の子どもたちの持っている能力を最大限伸ばしてやりたい。

私たちは、「子どもの家」の子どもたちを「わが子なら・・」という視点で

常に見ていきたものである。この種の「子どもの家」の子どもたちの

大学進学の話になると、時々、『「子どもの家」の子どもたちが大学に

行くなど「贅沢だ」、「支援しすぎだ」』との非難をされた経験が何度か

ある。私は「子どもの家」の子どもたちが大学へ行くことは贅沢と

非難する人に聞きたい。自分の子どもたちが、大学進学の能力があっても

大学へ行くことは贅沢と言うのか?と聞きたいものである。

「子どもの家」にいる子どもたちは、たった一度の貴重な人生を歩んでいる。

私たちは、最大限、「自分の子どもたち」だと思って、子どもたちに愛情を持ち

子どもたちに寄り添って、生きて行きたいものだ、と念願している。

と言いながら、ベトナムは経済が上昇し、大学進学者・進学率が上昇している。

大学入学の競争も激しくなった。お金持ち(特定政党の幹部の子ども)などの

子どもは、小学校からいくつもの「塾」に行き、合わせて「家庭教師」をつけ、

大金を投資して子どもたちを大学へ進学させている。

我が「子どもの家」ではそうしたことは出来ないが、普通に勉強していて

大学に入学する能力・学力を持っている子どもたちは何とか大学進学をさせ

希望する人生を歩ませてやりたいものである。

ベトナムは諸物価が上がり、大学入学金と授業料が高騰している。

授業料は「私立で年間700ドル」「国立大で年間400ドル」である。

その他に入学金も数百ドルかかる。

「子どもの家」の大学進学率が30%ということは、嬉しいことではあるが

同時に「嬉しがってばかりも」いられない。

毎日の生活費を里親の皆さんから頂いている。その上、大学の授業料を

頂くこともできない。現在、12人の子どもたちが大学へ進学している。

更に来年7月には、大学入試がある。何人かの子どもたちが入試に

挑戦したいと言っている。「子どもの家」の子どもたちの大学入学問題が

理屈では「大歓迎」だが、財政的には「非常に困難」を伴うという

『二律背反』状態に置かれている。

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午前11時半、昼食。

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15年10月30日 小山道夫「火炎樹日記」

フエに住み始めたのは、1993年9月1日だった。

それから丸22年間、フエに住んでいる。多分、ベトナムに住んで

いる日本人の中でも「初期の初期」にフエに住み始め、その後、

22年間以上、永続的にフエに住んでいることになる。

18歳で「フエ師範大」で教えたバオミンさん(JASSベトナム代表)も

40歳を超えている。長い年月ベトナムに住んだものである。

フエやベトナムの社会の大きな変化を「肌で感ずる」経験をしている。

午前6時起床。

午前7時朝食。野菜入りの「おじや?」OR「おかゆ」

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午前中、当面のベトナム事務所の仕事などの進め方を考える。

明日のベトナム事務所員会議に提案する内容を考える。

理由不明だが、「体が異常にだるい」。

午前中は横になり、本を読む。

午前11時、昼食。

「アヒルの卵焼き」、「各種の野菜」「かぼちゃと海老のスープ」

「空芯菜の炒め物」「分からない野菜のスープ」「ブロッコリーと

牛肉の炒めスープ」→食事の量が「多すぎる」

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夕食用を「小分けする」

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食後、2時間ほど横になる。体が非常にだるい。

午後3時過ぎ、電動バイクで新ベトナム事務所へ。

「静岡・フエ青年交流会館」と「フエ市文化会館」の境界線の工事の

真っ最中。

真ん中の「門柱」を境に「右側が静岡会館」。左側が「文化会館」

門柱に沿って、40センチの高さのコンクリートの境を作る。

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コンクリートの溝の中に土を入れ「花壇」とする。

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静岡会館側の「庭」はコンクリートを打つ。

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ベトナムの「土木工事」は基本的には「人力」である。

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「静岡会館」側の庭にコンクリートを塗る。

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新ベトナム事務所では、皆さん真面目に仕事をしている。

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夕方、電動バイクで「ドンバ市場」へ行き、トイレ掃除の「洗浄剤」と「ブラシュ」

を買う。

夕方、夕日が沈む。秋から冬に入る季節なのだが、今年は

「異常気象」。夏の空模様だ。

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午後6時、突然停電。半年前にこういうこともあるかと思い

ソン君と「充電式の蛍光灯」を買っておいた。

いざ、停電になったので使おうとしたら、既に壊れていた。

1回も使わない受電式の蛍光灯が壊れている・・・・・・

何とも言葉が出ない。これが「ベトナムだ」などと言う気はないが・・・・・。

変な製品を買った奴が悪いという「空気がベトナム人」の中には、

充満している。こうしたことは、当たり前、との「世間常識」がベトナム

にはある。

これを日本人はけして「笑えない」のだ。

私が子どもの頃。1950年代。

アメリカの映画を見ていたら、「品物が壊れた」。アメリカ人は

「ジョーク(冗談)」で「MADE IN JAPAN」と言っていた。

1950年代。アメリカに輸出された日本製品は、粗悪品で

「悪かろう・安かろう」と言う製品も結構あったようだ。


15年8月29日 フエ市人民委員会前外務部長等と懇談

午前6時起床

午前7時朝食。 柔らかい「チャオ・バイン・カイン」(キャッサバと小麦粉)

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午前中、静岡会館など当面の諸課題について、意見をまとめる。

文章化。

バオミンさんと静岡会館「境界線」の件で電話で意見交換。

札幌の北星学園大学スタディーツアーの件でバオミンさんと

意見交換。

午前11時過ぎ、昼食。

かなり昼食の量が多い。

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魚一匹の煮物が出る。小骨があって食べにくいが、たんぱく質も

豊富なので「手間をかけて」食べる。

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午後2時間ほど昼寝。体調不良。体がだるい。

午後、ベトナム事務所のソン君から「静岡フエ青年交流会館」の

「境界線工事」が始まったとの連絡あり。写真を送ってくれる。

2001年に「静岡フエ青年交流会館」が建設された時点で

既に隣りにある「フエ市文化会館」は、「静岡フエ青年会館」は

自分たちに所属した建物である、と明言し、横領、横取り、しよう

との策動を始めていた。

それから14年間、「粘り強く」フエ市側と交渉を続けた。

フエ市の「どこの誰が」この件についての最終的な決定権を

持っているかを「熟知」していなければ、闘いはできない。

それでも14年間と言う長い年月がかかった。

共産党一党独裁国家であるベトナムでは、全うな理屈や

話し合いだけでは、なかなか「相手に通じない」。

多くの海外NGOは、この種の問題は、結局、ベトナム当局に

取られてしまい、帰国・撤退している例を多く見ている。

その原因は、この国の権力構造を熟知していないNGOが多いから

である。大きなNGOなどと言ってもこの種の問題に対する経験がなく

知識もない。結局は「取られて」「撤退」と言う結果になってしまうのは

残念であるが、「現地の政治と歴史・文化」そして、「権力構造」を

しっかりと「体験」し、失敗を繰り返し、痛い思いを何度もしないと

現地はなかなか分からないものである。

敷地を共有する隣りの「フエ市文化会館」と我が「静岡・フエ青年交流会館」

との境に「花壇」を作り、静岡側の庭は、コンクリートで固めると言う工事を

し、「静岡・フエ青年交流会館」所有の土地ということを「明確な形」

で対外的に示すようにする。14年間の闘いの結果。

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この門柱を境として、左側は「フエ市文化会館」、右側が「静岡会館」。

最初の工事が、両会館の分岐点・境目に「30センチ」の高さのコンクリート

の境を作った。私は何としてもこの「コンクリートの境」を作りたかった。

そこまでしなくても・・・・とか、コンクリートで「ミエミエ」に境を作ると

やはり文化会館側に対して「挑戦的だ」との声もあった。

挑戦的ではなく、静岡会館の建築支援者である小嶋善吉前静岡市長など

「寄贈者」の「静岡市ライオンズクラブ」の皆様の浄財を預かって建設した

「静岡会館」が、近い将来、「誰かに取られてしまって」はいけないことだ。

寄贈をされた「JASS」は寄贈物をきちんと使用し、後世まで残す義務がある

と思っている。14年間の長い長い闘いであったが、何とか、JASSや私たちを

信用し、寄金をして頂いた小嶋仙吉前静岡市長や「静岡市ライオンズクラブ」

の皆様には、私たちJASSは、「大きな責任を持っている」と自覚している。

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我が「静岡会館側」の土地はコンクリートで覆い、雨が降っても困らないように

した。

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こうして改めて「境界線」を写真で見ると「かなり極端な境・高さのある境」だ。

バオミンさん・ソン君をはじめJASSベトナム事務所の皆さんに感謝したい。

同時に海外支援について、きちんとした知識をもっているタン・フエ市長や

ニエン前フエ市外務部長、現フエ市外務部長のイックホアン氏に心から

感謝したい。

高いコンクリートの「花壇」を作ったのは、隣の「フエ市文化会館」で

時々「歌謡ショー」が行われる。多くの参加者は、オートバイでやってくる。

オートバイの参加者は、オートバイを我が「静岡会館」の前に駐輪する。

「歌謡ショウー」などのある時には、オートバイの騒音と私たちJASS

メンバーのオートバイも置けなくなる有様だった。こうして、多少「高く」感ずる

境界線もそうした「オートバイ」の静岡会館側への乗り込みを「断固阻止」する

ためには、必要な措置なのである。

これから約3週間かかって「境界線工事」を完了する予定である。

14年間、いつも頭にあった「境界線問題」。

数年前には、フエ市長を議長にフエ市共産党書記・各地域の人民委員会の委員長、

フエ市警察本部長、各地域の警察署長、各地域のj共産党委員長その他、

関連機関の責任者50人ほどが集まり、「静岡会館」と「フエ市文化会館」の

境界線問題の大きな会議を開いてもらった。

外国人は私一人。通訳してもらうバオミンさんは出張でいない。

当時の外務部副部長のイックホアン氏に通訳を頼み、50人のフエ市の

幹部の前で「静岡会館死守」の演説をした。「文化会館側」は、必死に

理屈をこねて反論し、2時間の間、私と文化会館館長との論争が続いた。

通訳を介しての論争はなかなか難しいものがある。私は20数年フエに

住んでいるので、通訳を解しての会話が常態化しており、慣れている。

文化会館館長さんは、「共産党の幹部」なので、そもそも「他者の批判」に

慣れていない。私の厳しい批判に対して、感情的になり、一層、参加者から

孤立してしまっていたことを思いだす。私の主張は、静岡会館は

「日越友好のシンボル」。姉妹都市となっている「静岡市とフエ市のシンボル

でもある」。土地問題の本質は、フエ市が今度、海外の諸都市と本当に

友好関係を持っていくのかどうかが試される「試金石」である。

こうした活動を通して、フエ市やフエ市共産党は、日本などアジア諸国との

善隣友好関係を持っていくべきだ。静岡会館側の土地を徐々に「侵略している」

フエ市文化会館は、自らの目先の「土地」を手に入れるという野望から

大きな「日越友好」という政治的な宝物を失っている・・・・

大要、こんな意見を言った。

午後6時、フエ市の前外務部長のニエン氏と久しぶりの懇談。

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午後9時閉会。


15年10月28日 宿舎で仕事

快晴 室内の温度は「30度」。真夏である。

例年は、厚手の冬着を着ているのだが・・・・・・。

個人的には、寒さが嫌いなので「有難い」ことである。

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午前7時朝食。フエ名物「ブン・ボー・フエ」 量が多すぎる。

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今日は1日中、宿舎で仕事。各種文章作り。

北海道の「北星学園大学」スタディーツアーの内容をなどをまとめる。

バオミンさんと何度か電話で打ち合わせ。

静岡フエ青年会館について、今後の取り組みを整理し、間違いのないように

フエ市文化会館との「境界線建築」を粛々と進める計画を立てる。

午前11時、昼食。量が多すぎるが、半分程度食し、残りは夕食とする。

夕食用の弁当

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最近、このブログを読んでくれる方が増えた。

今日のブログは、ベトナム時間午後5時〔日本時間午後7時)の時点で

日本からのアクセス(160)

ベトナムからのアクセス(20)

米国からのアクセス(9)

合計 189

有難いことである。ベトナム中部のフエ市で23年間活動を進め、

小さな取り組みではあるが、それでも毎日「何らかの問題」活動が

起こる。このHPでベトナムでの「海外ボランティア活動」の実態、

活動する人が何を考えて活動しているのかを知って頂ければ

有難いことである。

ベトナム時間午後7時(日本時間午後9時)

日本からのアクセス (180)

ベトナム        (20)

アメリカ        (9)

台湾          (1)

計  210 

各国からのアクセスに心から感謝したい。

ご意見・感想等は小山道夫へ

koyama1947@yahoo.co.jp  へ


15年10月27日 ナム君誕生祝い

午前5時起床

インターネットで「2代目 廣澤虎造」の浪曲を聴く。

午前7時朝食 「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

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午前9時過ぎ、ベトナム事務所へ。

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午前10時に日本の里親「Sさん」の里子「NAM君」の誕生会がある。

急いで「子どもの家」へ。約束の時間になっても「NAM君」はやってこない。

2時間ほど「子どもの家」で在宅支援の「NAM君」を待つ。

「子どもの家」のロック寮長などに「何故、誕生会の約束の時間にナム君は

「子どもの家」へ来ないのか? と聞くが、「子どもの家」委員長のセンさんも

寮長のロックさんも「分かりません」と言うだけで、何も説明がない。

これ以上待っても仕方がないので、2時間「誕生会」を待って、

正午頃、電動バイクで宿舎へ帰る。

「理不尽なことに弄ばれた」様な「やりきれない」気持ちになる。

昼食を摂る、が食欲なし。昼食分の半分程食す。

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夕食用に「小分け」をする。

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夕方、ベトナム事務所からメールがあり、午後2時にナム君が「子どもの家」に

来たので「ナム君の誕生会」をした、とのこと。

何故、私に午後2時からの誕生会の件を知らせてくれないのか?

理不尽な扱いに疑義を感ずる。「子どもの家」の子どもたちの

誕生会は、全て私が参加し、お祝いし、里親へ「誕生会」の様子を

報告してきた。今回、こうした報告が出来なかったことは痛恨の極みである。

ベトナム事務所から『ナム君の誕生会』の様子を撮った写真が送られる。

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ベトナムで23年生活をしている。常にこの種の「行き違い」「文化・伝統」

「国民性の違い」と対面し、調整しながら生きてきている。

これはベトナム人側からも同じように思われていると思う。

『何故、日本人は、何事もきちんと準備しないと気がすまないのか」

(大体、準備が出来ていれば、いいのに・・・・)などと言ったレベルの

行き違いは、日常茶飯事ではある。

今回の件は、ベトナム人スタッフが『小山さんが疲れているので、これ以上

「子どもの家」へ行かせては申し訳ない』との善意な気持ちからと推察する。

私的には、この種の報告をしっかりと日本の里親にする「義務が私にある」

との強い信念をもっているのだが・・・・・・・・・・・。


15年10月26日 静岡会館・文化会館境界線最終合意

快晴

午前6時起床。シャワー。

午前7時朝食。「赤米のおかゆ」と小魚の煮物・プレインヨーグルト

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私の朝食の準備をしたら「料理のTUOIさん」は、お子さんをオートバイで

保育園まで連れて行く。食後の食器洗いなどは私がする。

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午前9時半、電動バイクで『静岡・フエ青年交流会館内」の

新JASSベトナム事務所へ。

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日本語教師の新井先生は、熱心に日本語教育の授業の準備をしている。

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バオミンさんと「静岡会館」と「フエ市文化会館」の境界線の問題に

ついて突っ込んだ話し合いをする。今日の午後2時にフエ市人民委員会の

外務部長・前外務部長ニエン氏と文化会館の館長等と最終的な

「境界線問題の話し合い」をする。話し合いの最終打ち合わせを

バオミンさんとする。

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午前11時、宿舎へ帰る。

昼食。今日の昼食は「野菜尽くし」。

ジャガイモ・人参・ブロッコリー・おくら・青菜・スープには「瓜」。

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半分程食し残りは夕食とする。

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午後1時間程、横になる。

午後2時、電動バイクで「静岡フエ青年交流会館」へ。

今日は、「静岡青年交流会館」と隣りの「フエ市文化会館」の

境界線の最終確定の会議。

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「静岡青年交流会館」側の代表は「小山」。フエ市文化会館側の代表は館長。

前フエ市外務部長のニエンさん、現フエ市外務部長のイックホアンさんは

立会人として参加。

この「境界線問題」はこの数年の懸案である。フエ市文化会館側が、徐々に

徐々に「静岡青年交流会館」側に「侵食」「侵略」してきている。

私は当時の小嶋静岡市長を先頭に「静岡市ライオンズクラブ」の皆さんが

大金を拠出・寄付して建築した「静岡青年交流会館」をフエ市文化会館に

「乗っ取られる」可能性を「ひしひし」と感じ、フエ市長にこの問題を「直訴」した。

数年間の協議の結果、先日、タン・フエ市長が最終的な「仲裁案」を出した。

私たちとしては、ほぼ「満額回答」に近いものであったので、斡旋案・仲裁案を

受け入れる。その後、「フエ市文化会館」側も諸情勢を分析し、市長斡旋案を

受諾するとの話があった。今日は、フエ市人民委員会の新旧外務部長立会い

の下に「静岡青年交流会館」を代表して小山、文化会館を代表して館長が

「タン・フエ市長の仲裁案」の受け入れを表明する会議を行った。

一般的・国際的な場合には、現地の行政側は、結局、海外支援の建物などは

「乗っ取ってしまい」、海外支援団体は、「なきなき」帰国すると言う例が大部分

である。2001年に当時の小嶋静岡市長を中心に「静岡市ライオンズクラブ」が

建築・寄贈した『静岡青年交流会館」。建築から14年間経過している。

この間、日本語学校を設置し、200人の地元の青年に日本語を教えた。

フエ市やダナン市などの「日本語ガイド」の多くは、静岡市青年交流会館内の

日本語学校の卒業生である。フエ市を中心にベトナム中部に大きな貢献を

している「静岡青年交流会館」である。

今日、タン・フエ市長の仲裁で「境界線」の合意が出来たので、今後は、

JASS側の土地も明確になり、一層、日本語学校の運営、静岡市・フエ市の

市民レベルでの交流を一層推進していきたい。

今後の課題は、「境界線」に「花壇」を作り、「静岡会館」と『文化会館」の

境目にする工事を行うことになる。バオミンさんに話し、早速、来週から

1ヶ月間かけて、両施設の境界線となり「花壇建築工事」を始めること

とした。

海外支援は、「支援される側」は、「金儲け・利権」を求めている。

海外支援は、そうした「不正」「ボランティアを利用した儲け主義」と

果敢に対決し、同時に100%「勝利しなければならない」と思っている。

3年程度で「自立した」などと言って、次の支援地に移動していく

「渡り鳥ボランティア」では、こうした闘いは出来ない。

ーーーーー

フエの町中は、現在、赤い横断幕で覆われている。

近日中にベトナム共産党の全国大会がある。

ベトナム共産党全国大会のフエ省からの代議員を選出する

フエ省共産党大会が開かれている。

町中に張り巡らされている『赤い横断幕」は、「フエ省共産党第15回

大会を熱烈にお祝いする」というもの。

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ベトナム共産党全国大会が開かれ、どんな方針が決まるのか?

共産党員やその家族だけが、甘い汁を吸うシステムだけは何として

変えて欲しいと「部外者である私」からの要望である。

しかし、そもそもの「組織論」〔民主種的中央集権制度」(民主集中制)

というシステムは、貧富の格差を増大し、共産党員とその家族・一族への

異常な「金権集中」の起こる基本的なシムテムを内臓しているのである。

ーーー

今年のフエは「異常気象」である。

通例ならば、今頃は「雨・雨・雨」の毎日である。

しかし、フエに帰って10日目。毎日「30度」の真夏である。

私には有難いことではあるが・・・・・。


15年10月25日(日)新井先生・ソン君家族と朝食会

午前6時起床。

10月から日本語教師をしてくれている新井先生と朝食会。

ソン君家族も誘う。大塚さんや税田さんがいた頃も来ていた。

今回来て見て、全体的な規模が縮小され、食事内容もかなり減った。

営業の合理化か?か・・・・・。

一人500円。以前の倍の金額。全体的に「資本主義化」し、「徹底的な

合理化」と従業員の縮小、内容の低劣化をその特徴としている。

食べ物を置くテーブルが、以前の4分の1以下となったことで「全ての

実情」が分かるというもの。

しかし、10階からの眺めは価値のあるもの。ゆっくりと「野菜・果物など」

を食し、手作りの「ヨーグルト」を食べ、ベトナムコーヒーを飲むだけでも

価値のあるものだ。宿舎とベトナム事務所の往復だけの日常生活を

活性化する価値のある「朝食バイキング〔500円)」ではある。

大きくなった「ソン君・メンさん夫妻」の子息「バオ君」。なかなか「賢そう」な

顔つきと行動である。

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新任日本語教師の新井先生。もう一人の日本語教師の北浦先生は、

3ヶ月のビザが終了し、一度日本へ帰り、再度3ヶ月のビザを取ってベトナムへ

戻る途中。

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「子どもの家」卒業生で現在フエ市の外務省スタッフの母親メンさんは、

すっかり「お母さん」の貫禄が出てきた。

父親ソン君と母親メンさんは、「子どもの家」の生徒会会長と役員という

仲。「かかあ天下」になるとの予想はしてはいたが・・・・・・。見事推測的中。

やさしいお父さんになったソン君。しっかり者のお母さんになったメンさん。

賢そうな長男に育ったバオ君。

私的には、23年前に私がフエに偶然来て、「子どもの家」を開設したことで

出会った「ソン君とメンさん」。そして生まれた『バオ君』。

この3人の周りには、長年の里親だった内田さんと私の中学・高校校時代

の恩師だった岩淵先生など多くの日本人の「無償の支援と愛情」が関わっ

ている。

日本人による海外支援・人道支援の一つのあり方を示しているように

思えてならない。内田さん・私の恩師岩淵先生に深謝。

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「子どもの家」時代の母親「メンさん」〔写真向かって右)

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ソン君とメンさんの長男のバオ君。賢いだけでなく、

結構「ひょうきん」なところがある。真っ直ぐに成長して

行って欲しい。

午前10時半頃、朝食会を終了。新井先生の日本語教師

就任に感謝し、健康を祈っている。フエでの活動の中で

何かを掴んでもらえれば、幸いである。

宿舎へ帰宅後、いくつかの仕事を仕上げる。

昼頃から2時間ほど「昼寝」をする。気候の変化か、体が

だるい。(あるいは、飲みすぎの「成果」かも知れないが・・・・)

父親が52歳で脳溢血でなくなった。日ごろから母親に「飲みすぎると

体に良くない」「血圧が高いのだから、脳溢血になる」などと指摘された

いた父親である。「馬鹿野郎。飲まないで居られるか。俺は、太く短く

生きるのだ。飲まないで、フニャフニャ生きるよう軟弱な生き方はしない」

と言いつつ、52歳で脳溢血で死亡した父親。その後の私の人生に

プラス・マイナスの影響を与えた父親の「飲んべい人生」。

父親の人生と闘うことを旗印に今日まで生きてきたのであるが、

最近は、父親の「軍門に完全に下って」しまった。事業に失敗し、

不遇な人生を歩んでいた父親の気持ちも分かる年頃になり、

「体に悪いほど」の酒も飲まずに、チマチマと長生きする気持ちは

ない。一番反撥した父親のような生き方になりつつある自分を

「さもありなん」と見ている自分がいる。

2時間の昼寝後、電動バイクで「子どもの家」へ。

里親Aさんの3人の里子の今後の「人生」「希望」などを調査・聞き取りに

行く。

午後3時。電動バイクで「子どもの家」へ。途中、王宮の真ん中にある

「旗台」には、「金星紅旗」がたなびいていた。

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「子どもの家」へ到着。

「子どもの家」の外に遊びに行っている「子どもの家」も結構いる。

里親のAさんの3人の里子の今後の進路希望について、聞き取りに

行く。

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3人とも現在高校3年生。それぞれ大学への進路を考えている。

一人ひとりの家庭状況、今後の進路を細かく聞き、バオミンさん・里親の方と

相談し、進路決定の資料とする。

「子どもの家」では、フエ師範大物理学科を卒業した「ターオさん」が

「子どもの家」の高校3年生〔大学受験生)に「物理」を教えていた。

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子どもたちは休日の日曜日、リラックスしていた。

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私は午後5時に「子どもの家」を出て、宿舎に帰る。

軽く「何を数本飲む」。おつまみは、「くさや」「長崎産の焼きあご」

「寒大根のごんじり」などで軽く・本当に軽く『何を飲む」。