JASS ベトナム事務所ホームページ


6月30日(火)小山道夫「火炎樹日記」・「ももの木」鍼灸院へ

午前8時半、自宅を出て、都営三田線ー都営新宿線を使い、

「本八幡駅」へ。徒歩5分。「ももの木 鍼灸院」へ。

大学の同級生である大極さんが院長をしている

「ももの木鍼灸院」(047-712-5842)へ。

昨年、「肺炎」となり入院。その後、体調がすぐれない。

疲労が取れず、時間の空いている時は、ほとんど

横になっている。横になっても「ベトナム事務所の財政問題」

「子どもの家」の今後の運営、などなど、いつも頭の中は

ベトナムの諸問題への対応策で一杯。

今日は、お灸と鍼(はり)で頭から足まで2時間程の時間をかけて

診療してもらう。診療する前には「声が嗄れていた」が、診療後は

不思議に「声が出る」ようになった。

2時間程かけて家に帰ると、眠くなり、横になって熟睡してしまう。

その後は疲労も取れ、精神的に「やる気力」が出てきて、

ベトナム関連の各種の仕事をする。

7月3日「(金)「秋田国際教養大学」での講演会を3回作り直す。


6月29日(月)小山道夫「火炎樹日記」

山手線「高田の馬場」乗り 換えで「早稲田」へ。

JASSと提携してスタディーツアーを進めている観光会社「ピースインツアー」へ。

担当者とl懇談。

午後帰宅し、自宅で読書。

「琉球独立論」(松島泰勝著:バジリコ株式会社)

沖縄の歴史、特に1609年の「薩摩藩」侵略による事実上の琉球王国侵略支配。

1872年、明治政府の琉球王国併合の歴史の詳細を知る。

更に「沖縄県として併合された明治以降の日本政府の沖縄差別、蔑視の

歴史が分かる。

アジア・太平洋戦争では、沖縄県の人口の4分の1の人々が亡くなり、

戦後、「沖縄返還」で日本の7、6%の土地に74%の米軍基地が固定化され

再度、日本の捨て石とされた歴史。沖縄の産業振興と称して行われた

多額の沖縄への国庫に投資は、本土の資本の餌食となり、沖縄の

発展に至らない歴史。沖縄の米軍基地は「治外法権」であり、沖縄に

裁判権はない、事実上、アメリカの「植民地」と言っても過言でない

歴史と現状。

そうした中で、「琉球独立論」が台頭し、沖縄の人々の心をとらえつつある

現状である。

安倍首相を支持する自民党の国会議員の会号で、NHK経営委員の

百田氏が「沖縄の新聞をつぶすべきだ」との驚くべき発言があり、

一層、沖縄県民を「琉球独立論」に押しやる結果となっている。


6月28日・小山道夫・「火炎樹日記」朝日新聞「笠井さん投稿」

2015年6月28日の朝日新聞「声蘭」にJASS静岡の会事務局長の

笠井英彦さんの「投稿」が載っていた。全文、筆写する。

時期的にタイムリーな内容の投稿であり、内容のあるものだと感心している。

以下、投稿の全文

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「民主主義の否定 見逃せない」(中学校教員 笠井英彦・静岡県 58歳)

『作家の百田尚樹氏らが出席した自民党の勉強会で「マスコミを懲らしめる

には広告収入がなくなるが一番」「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさな

あかん」といった発言が出たという。これは見過ごせない大問題だ。

参加したのは国会議員。また百田氏は首相官邸に推されてNHKの

経営委員を努めた人物だ。こうした立場の人から表現の自由を破壊し、

民主主義を否定するような発言が出ることに怒りを覚える。

私は中学生に、有名な言葉「私はあなたの意見に反対だが、

それを主張する権利は命をかけて守もる」を紹介しながら、

「言論の自由」「表現の自由」を守ることなしに民主主義は存在しない

と教えている。

安倍晋三首相は外国に行って「自由」「民主主義」を強調するが、

これは気に入らないメディアをつぶす自由のことではないだろう。

安倍首相は自民党の総裁である。自民党の自由や民主主義は

何なのか。安倍首相は説明する責任がある。』


6月27日・小山道夫「火炎樹日記」高校50年記念同窓会

午後12時半、東京銀座の中華料理店で都立S高校「1年8組」(3年間クラス替えなし)

の高校卒業「50周年記念クラス同窓会」が行われた。何かの縁で私もクラス同窓会の

幹事になっている。

午後12時半、定刻開会。開会の言葉は、諸事情で急遽私が言うことになった。

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このクラスは1年8組51人(3年間クラス替えなし)。男子31人、女子20人。

同学年は推定で600人。団塊の世代のその中でも一番多い、1947年(昭和22年生まれ)。

今日の高校卒業50周年記念「クラス同窓会」には、26人(男子14人、女子12人)が参加。

卒業後、全く会っていない旧友も何人かいた。

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卒業後50年の人生の軌跡を報告する。

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3年間「陸上部」で一緒に活動した「T田君」。現在は、ラオスで

「ラム酒」工場を「同じクラスのY芝君やS水君」と一緒に経営している。

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同じく3年間「陸上部」で私とi一緒に活動した「N部君」

10数年前の午前6時頃、都営三田線の列車の中で偶然「N部君」が隣の席に座っていた。

高校時代は一緒に陸上部で活動したので、当時「ほっそりとしたイメージが」

残っていたので、隣に座った彼が、高校の同級生だとは最初わからなかった。

陸上部で3年間毎日のように一緒に行動したので何となく「見たことのある人だ」

と思い、じっくりと顔を見る。隣に座った「N部」君は、「いねむり」をしていた。

「N部君ではないの?」と声をかける。N部君だった。「民事の弁護士をしているので

資料を読んでいるうちについ寝込んでしまった」と言っていた。当時の体型とは大分

変わってはいるが、職業で人間の生活と変わり体型も貫禄がつくというものである。

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キューバ青年と結婚し、キューバ在住の旧姓「M姓さん」

数年前、JASSベトナム委員長の「バオミンさん」とフエ市人民委員会外務部長

のニエンさんと一緒に「キューバ査察旅行」をした。その際、現地に住んでいる

「M姓さん」に予約や案内などで大変お世話になった。

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同窓会会長かどうかは、分からないが、事実上はそんな大きな役割りを

した「G井君」(野球部長)

高校時代、偶然、我が家の近くに住んでいたので、「G井君」の家には

何度もいって「悪さ」をした記憶が僅かにある。父親がレンズ研磨の工場を

経営していた関係で、部屋数の多い家に住んでいたので、多少「怪しいこと」

をしても露見しなかった。

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今回の「高校卒業50周年記念クラス度総会」の裏会長さん(T田さん)

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午後4時過ぎ、波乱もなく無事閉会。

高校で出会って53年。卒業して50年。早くも感じるし、長くも感じる。

3年間クラスが一緒だった皆さんも「古稀」の年齢に近づいている。

「人生70年古来稀」

まだ誰も鬼籍に入った人はいない。

皆さんの健康と長寿を心から祈る。

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午後4時過ぎ散会。

その後、このクラスの「常識的な行動」として「カラオケ」へ。

公式同窓会では、割りに上品に行動していた級友ではあるが、

カラオケにいくなり「隠していたその本質」が露呈。かなり「目を背ける」

場面が「あったか?なかったか?」私も痛飲し、記憶は定かではない。

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「50周年記念クラス同窓会」では、かなり大人しかった「Y芝君」ではるが、

カラオケに入った突端に「君子豹変」し、目が輝き出してきた。

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このクラスは3年間クラス替えがなかったので、他クラスの人は知らない

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カラオケ集会までは、かなりの級友が参加した。

その後、一部「不良同級生」が更に「銀座に来たの文字通り『銀座ライオン』へ

行こう」との積極的提案があった。最終的に残留したクラスの「勇士」が参加。

その後、有志で文字通り「銀座ライオン」へくり込む。

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このクラスは、「常識的」且つ「上品」な人たちが多いので、ほとんど「乱れることなく」

「三次会」まで無事終了。

級友の皆さんの健康と幸せを心から祈り、またのクラス同窓会を楽しみにしている。

午後8時過ぎ、散会。


6月25日 小山道夫・火炎樹日記「ももの木鍼灸院」にて治療

午前9時に自宅を出て、都営三田線・都営新宿線で「本八幡駅」へ。

所要時間1時間半。

「ももの木鍼灸院」(大極安子院長・毅副院長・電話 047-712-5842)着。

鍼とお灸で治療を行ってもらう。

約2時間の治療。

午後2時、自宅着。鍼灸治療の影響か「眠くて」その後、2時間程

横になる。

読書「琉球独立論」(松島泰勝著:出版 「バジリコ」)


6月23日小山道夫「火炎樹日記」元日本語教師Aさん懇談:戦争法制反対集会

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午後1時。元JASSベトナム事務所日本語教師のFさんと東京駅で懇談。

その後、東京駅から徒歩30分で日比谷公園へ。

午後6時半から「安保法制反対」の集会に参加。

今日6月23日は、沖縄戦の組織的抵抗が収束し、20万人もの犠牲者を

だした「慰霊の日」。

「琉球独立論」(松島泰勝著:バジリコ出版)を読む。

私の知らなかった「琉球王国」の歴史と日本の琉球侵略の歴史

が詳細に書かれている。

私たちは、1872年に明治政府が「沖縄処分」をし、と学んだが、

著者は「処分」という言葉は、琉球王国が、「悪いこと」をした場合

に(処分」されるものであり、「日本の琉球併合」と言うべきと指摘。

琉球王国の歴史、独自の文化などが詳述され、日本からいかに

差別されてきたかという具体的な歴史を書いている。

1945年6月23日の沖縄戦収束も、日本の「本土決戦」の

時間稼ぎのために「沖縄が捨て石」にされたと言われている。

著者は、沖縄は日本の植民地だと言っている。日本に併合された

後、多くの琉球人が、生活苦のために海外に移民・出稼ぎに行っている。

昨日の沖縄の「慰霊式典」でも安倍首相に参加者から「安倍帰れ」

との声が安倍首相に浴びせられていた。


6月22日・小山道夫・火炎樹日記「30歳代の職場同僚」と懇談

午前中、「琉球独立論」(松島泰勝著:バジリコ(BASILICO 03-5625-4422)

を読み始める。今まで「沖縄」については、ほとんど知識を持っていなかった。

1853年米国ペリーが「浦賀」に来て、日本へ開国を迫った際、日本を去った

ぺりーは、その足で「琉球王国」へ行き、大統領の親書を送っている。

少なくとも「江戸時代」までは、琉球国は独立国だったことが分かる。

1967年に大学へ入学したが、「沖縄」から来た学友から、パスポートをもって

日本に来たことを聞き、驚いた記憶がある。

午後1時、赤羽で「30歳代」に一緒に仕事をした同僚と久しぶりに交流した。

1988年から5年間、一緒に仕事をした。

私の30歳代の仲間である。Uさんは、第2代JASS代表を務めてくれた。

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二人とも既に退職し、自由な生活に入っている。

35年ほど前に一緒に仕事をしていた時代の思い出話に花が咲いた。